霊鳥ズー
以前、水晶玉の中にはっきりと見えた、雌ライオンの頭と猛禽類の羽根を有する存在が彫られたフリーズ(パネル)はこれだろう。ズー(Zū)あるいはアンズー(Anzū)という呼称のメソポタミアの霊鳥。
ズーはライオンの頭を持つ巨大な鳥で、その翼で嵐や雷を巻き起こす。『ルガルバンダ叙事詩』では、主人公に力を授ける霊鳥として登場するが、後の時代に作られた『ズーの神話』では、「天命の書板」を盗んだ怪鳥として戦闘の神(元は農耕と治癒の神)ニヌルタによって退治される。
主神に仕えながら主神権の象徴である「天命の書板」を盗み出したズーは、つまりはシャヘルであり、ルシフェルだ。また、エジプト神話の霊鳥ベヌにも繋がっているだろう。
イナンナが聖なる園(エデン)に持ち帰って育てた世界樹が天まで届くほど大きく育った頃、ズーがやってきて、この世界樹の上に巣を作り雛を育てはじめた。さらにこの世界樹の根には蛇が巣を作り、その幹にはリリスが住処を作った。
神話の中では、イナンナは双子の兄である太陽神ウトゥに助けを求め、ウトゥは世界樹の根に住んでいた蛇を退治する。ズーは子どもたちとともに天の頂まで昇り、そこに巣を作る。そして、リリスは自らの住処を壊して荒野へと逃げていく。
このイナンナと世界樹の物語は、クンダリーニ上昇を示唆するのではないかと思う。世界樹の上に巣を作った(そして後に天の頂まで昇った)ズーはサハスラーラだ。
ここまで書いて、わたしが水晶玉の中に見たズーらしき存在が左を向いていた理由もわかった。元はルシフェルと同様、“神の右側”にいたということなのだろう。・・・と書いていたら、右耳に強い耳鳴りがやってきて過ぎていった。
一昨日、夢の中で何者かによって左の掌を刺され、びっくりして目を覚ました。痛みはなかったが、尖った刃が掌にぐっさりと刺さり、穴が開いて血が流れ出ていた感覚ははっきりと覚えている。とはいえ、攻撃されたわけではなく、むしろまた夢の中で改造されたように感じた。左の掌に穴が開いて血が流れたことによって、繋がりがよくなり、チューブも拡張されて、流れもますますよくなるだろう。
神話は集合的無意識が見る夢であり、眠っている間に見る夢は個人化された神話だ。どちらも象徴的であり、二元性を超えている。だから、善悪や良い悪いといった地上的・社会的な都合にあわせて解釈していては、それが示唆するところを知ることはできない。
集合的無意識が見る夢である神話と、個人化された神話である夢は、“わたし”を通してひとつに重なり、ぶつかり、新たな表現として体現される。神話と夢とが自らを通して体現される実感を経て、ようやく“わたし”はそれを理解する。そうして“わたし”は神話と夢そのものになる。
クンダリーニが世界樹を通って下から上へと昇ると同時に、上(天)からやってくるものもまた下へと降りてくる。まさに「下なるものは上なるもののごとく、上なるものは下なるもののごとし」である。