昨夜から今朝にかけてもまた複数の夢を渡り歩いた。どの夢の中でも「これは夢だ」とわかっていて、まるでスクリーン上に早送りで再生されるいくつもの過去世(別人格の人生)を観客として眺めているかのようだった。
ある夢では‘わたし’は病院のような空間にいた。何かの治療を受けていたのか、ベッドに横たわった身体にはたくさんのチューブが繋がっていた。別の夢では‘わたし’はもうすぐ死ぬようだった。父親かパートナーのような存在(実際にはまったく知らない人物)が近くにいたが、彼も他の人たちも‘わたし’が死んでいくのを気にもかけておらず、‘わたし’は泣いていた。
また別の夢では女性のグループとともに出稼ぎのような旅に出ていた。しかし、‘わたし’は本当はその仕事はしたくなかったので、旅先の宿から外には出ずに布団に横になっていた。女性たちはその仕事に誇りを持ち楽しんでいるようだったが、‘わたし’はまったく共振できず、間違えたなと思っていた。
さらに別の夢では、‘わたし’は細長い電車のような乗り物で移動していて、予定とは違う小さな駅で降りた。駅を出る際には精算で少し手間取った。誰かが車で迎えに来ていてさらに移動した。連れていかれた先では音楽イベントが予定されてるようだった。しかし、‘わたし’は早く帰って休みたかった。同僚らしい女性(実際には知らない人)とスポンサーらしい男性(既に亡くなった古い知人)がいて、そのイベントは夜まで続くという。自分が好きで参加するわけではない場で、興味のない音楽を聞かされるのは苦痛でしかないと思い、男性に「体調が悪いので帰りたい」と相談した。
昨夜はいつも以上に具体的で端的な問いを立てて眠りについた。だからあのように“画面に次々と再生される過去世を観客として眺める”ような夢を見たのだろう。どの夢も問いの答えであり、いずれも象徴的だが、脳(既存の記憶)による置換えと編集を取り除けば、何を示唆しているかはわかる。