モノノケ化すること ─ 個と集合体との間を柔軟に行き来する

モノノケ化すること ─ 個と集合体との間を柔軟に行き来する

昨日は夕食会の後に同僚たちとビールを飲みに行った。わたしは久しぶりにアルコールを飲み、実に久しぶりに楽しく語り合った。久々に生の魚介類とアルコールを取り込んで肉体的には疲労したが、形ではないところで共振が起きているのを実感し、互いに別々の個でありながら個を超えて流動的に混ざりあっている/いくのを体感した。愉快だった。

わたしが参加しているこの集団/組織は、特定の人物などの物理的存在ではなく、もっと上位にある何かしらの意図によって動いていて、わたしは(そして他のメンバーも)その高次の意図によって“食べられている”という感覚がある。もちろん自ら進んで“食べられ”ている。そうして個として働きをなしながら、同時に集合体として生きているようにも感じている。

この集団/組織にはそうしたアメーバ的性質がある。そして、この状態でいられる限り、流動的安定のまま常に変化・変容していけるのではないかと思っている。決して固定はしないが、だからこそ変容し続けられ、精神的・アストラル的に大きく太っていける。物質は精神に従う。だから物質的な成果はいつも後からついてくるというわけだ。

何にどのようにして“食べられる”のか。何をどのように“食べる”のか。個でありながら同時に集合体として、あるいは常にそれらを柔軟に行き来しながら、破壊・代謝し再生・変容しつづけていくこと。精神に従う物質の実現、つまりはモノノケ化。昨日はそのようなことを再確認した一日だった。

集団/組織におけるわたしの役割はコミュニケーターというか“運び屋”的で、ふとリンパ液みたいだなと思った。魚座的である。

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