昨日は職場のメンバー全員とともに、日本料理レストランで久しぶりに美味しい刺身と寿司を食べた。そして、今日はやはり腸が少し重いような感覚がある。そうたくさん食べたわけではなかったが、それでも普段は食べないものが入ってくると内臓は大変なのだろう。
昨年夏に富山~能登を訪れた際、刺身も寿司もあまりに美味しくて毎日食べていた(旅の前後にも食べていた)ら、それまでに味わったことのないレベルの便秘を経験した。チェコ移住後長らく魚、特に生魚を食べない(手に入らないので食べられない)生活をしてきたので、内臓が対応しきれなかったのだと思う。
かといってそれが嫌なわけではない。お腹は大変だし、肉体的には負担が生じるが、生の魚介類を食べた=死にきっていない海老や魚のアストラル体を取り込んで一体化したという感じは確かにあり、死と再生と変容が起きているのだと思うと悪くない。たまにこうして新鮮な生の魚介類を取り込むのはいい。
新鮮な魚介類や野菜を生で食べるのもある種のタマフリだ。食べること=他のアストラル体を取りこんで併合し、自分のアストラル体を太らせること。食べるたびにそれまでの自我は壊れて死に、自分+他という集合体へと再生・変容する。
「自我を流動化させたやわらかい状態に戻して、そこで生き造りを食べると、海老の活力そのものが、身体に入ってくることがわかります。そして、一時的に、身体の中でこれまでのわたし、と海老の戦いがおこり、そのうちに、一体化します。」
「部族の長が、タマフリをして、たくさんの魂を自身の中に集めてしまうというのは、その部族の長が、集合体存在になることです。」
「つまりは個というものは海のひとつの波みたいなもので、現実には海であるというように、全部つながっている」