描きたいと感じる光と影
やっぱり自分が実際に見た眺め、自分がその場で撮った写真を元に描きたいと感じて、過去数年間に撮った写真を見返していた。そうして絵に描きたいと思う写真を選んだところ、その多くが母が死んだ後に日本で撮ったものだった。空の写真、散歩中に撮った写真。当時はまだ太っていたさくらも写っている。
母を看取り、彼女の死を見届けた後の数ヶ月間は、これまでの人生で最も大変で忙しい時間だった。肉体的に限界を感じることも多々あったのを覚えている。当時の写真を眺めていると、日々自己想起を重ね続けたあの頃の感覚や、さくらをチェコへ連れてくる決断を下した前後の感覚などがありありと蘇る。
とはいえ感傷に耽けるようなことはない。多分あの数ヶ月間はわたしが大きく変容した時だったのではないかと思う。あれはまさに自己脱皮、自己変容の時だった。そんな変容の最中の隙間のような時々に撮った写真には、絵に描きたいと感じる光と影が写りこんでいる。
当時の日記やツイートを振り返ると、わたしはあの頃アークトゥルスのことをよく書いていたようだ。夕暮れ時、さくらとともに散歩をしながら、西の空に煌々と輝くアークトゥルスをよく見上げていたのを覚えている。