ゆらぎ、あわい、影に漂うもの

昨日投稿したこの絵に対し、思いがけず多くの反応を受け取っている。これは、わたしがこれまでに描いた中で最もスムースに、迷いも苦戦もなく描くことができた一枚だ。

正直なところ、風景を描くよりも遥かに楽しかった。いや、楽しかったという表現は少し違うかもしれない。全体と細部を観察し、慎重に色を選び、徐々に色を重ねていくすべてのプロセスがとにかくスムースで、まるで自分ではないものに導かれ動かされているようだった。

これはつまり頭(小さい自我の思いこみ/固定概念)が邪魔をしなかったのだろう。どんなものを描く時にでもこういう状態で描けるようになるために絵の練習・訓練をするんだなとわかった。

風景を描きたいわけではないし、かといって完全な空想世界を描きたいわけでもないし、いったいわたしは何を描きたいのかと未熟ながらしばらく自問していたが、わたしはゆらぎやあわいに惹かれるのだと改めて実感した。不定形なもの、見えないけれどそこにあるものにいつも惹かれる。言うなればそれは“影”だ。

ピンホール写真を撮り続けているのも多分同じことなのだろう。以前からわたしはこんな風に言っている。"I've been trying to capture the invisible, something subtle, something ethereal."

見えるものを通して、見えないもの、ゆらぎやあわいの中に漂う/満ちる“何か”を描きたいのだとわかった。これはわたしにとっては意味ある発見あるいは確認だ。