夢の中ではよく麺類を食べている

夢の中でまた新幹線のような形状の超高速列車に乗って移動していた。今回はこれまでよりもさらに遠いところまで向かうようだった。同行者は知らない男性(俳優の誰かに雰囲気が似ていた気がするけれど思い出せない)で、わたしたちは横並びになった5つ席のすべてを利用してゆっくり座っていた。

時折、目の前で展開する場面と同時に地図が見えていて、北へ向かっているのがわかった。最終駅の一つ手前で一旦列車を降りて駅の近くを歩いた。そこは大きな海の海岸沿いにある街のようだった。コーヒーが美味しそうなカフェがあり中に入ろうかと思ったが、やはりまた列車に戻って最終目的地へ向かうことにした。店先の看板に書かれた言葉が聞き慣れないものでとても印象的だった。

同行者の男性はいろんな食べ物を持参していた。彼は、清流の水で洗ったという素麺のような白い麺を持参していて、わたしには乗っている列車の中の様子と同時に彼が嬉しそうに川の水で麺を洗っている様子も見えていた。どうやらそれはかなり美味しい麺のようだった。

夢の中では実によく麺類を食べている。スパゲティだったり素麺だったりという違いはあるけれど、いずれにしても麺だ。これはやはり眠っている間に肉体を抜け出して旅をしているからだろう。いつも意図しているとおり、夢の中ではちゃんと体外へ、そして物理的世界の外つまり宇宙空間へと旅ができているようだ。

長い筒状の麺を食べるというのは、集団意識あるいは連続意識を取り入れているということだろう。物質的存在としてのわたしは特定の時間と空間という小さな箱に閉じ込められて分断され、生と死によってぶつ切りになっているが、連続意識には生も死もなく、長い長い紐あるいは蛇ように繋がっている。

また、夢の中ではよく新幹線のような長いチューブ型の超高速列車で移動している。わたしはその乗り物に“乗っている”と感じているが、乗り物=長い筒型そのものもまたわたしであり、それはまたあちこちに繋がるパイプのようなものでもあるのだろう。こうして毎晩眠っている間に肉体を抜け出して行き来しては、星を訪ね、始まりも終わりもない無限の源からエネルギーをチャージしているのだと思う。