夢の中で訪れる山 ─ 北斗七星とプレアデス
昨日、夢で何度か見た山とその麓に立つ鳥居を絵に描いた。そうしたら、今朝もまた夢の中で同じ場所を通った。
わたしはいつもこの鳥居がある山を左手に見ながら、別の山へ向かう。鳥居がある山は鬱蒼として険しく、修験道の山のような風情だが、わたしが向かう方の山は観光地化されていて、大抵いつもたくさんの人で賑わっている。
夢の中の風景は曖昧なので、描く際にはいくつかの山の写真を参照した。そのひとつは偶々見つけた国東半島にある両子山の写真だった。先ほど改めて調べたところ、両子山を中心に広がる六つの郷は六郷満山と呼ばれ、八幡信仰と天台修験が融合・発達した独自の山岳宗教文化が栄えた地域らしい。これは余談だが、両子山(ふたごさん/ふたごやま)は音読みにするとわたしの名になることにも後から気づいた。
この鳥居がある鬱蒼とした山は北斗七星の象徴で、もう一方の観光地化された山はプレアデスではないかと思っている。松村潔氏は「北斗七星は旦那、プレアデスは妻という対応関係がある」と書いていた。夢の中のプレアデスはツアー客らしき人たちもたくさんいて、初心者でも気軽に訪れることができる場所だ。
今朝の夢では、わたしは鳥居がある山(北斗七星)ではなく、別の山(プレアデス)で母と待ち合わせていた。わたしはさくらを連れて待ち合わせ場所へ向かった。待ち合わせ場所は観光地にある名所の入口のドライブインのようなところだった。夢の中の母は姿は曖昧だったが多分40代ぐらいで、友人らしい女性たちとグループで行動していた。
さくらの姿は犬だったり小さな女の子だったりした。「ちょっと待ってね」とベンチに乗せると、彼女は行儀よく足を揃えてちょこんと座っていたのを覚えている。母たちと合流した後は、名所へと向かう人の流れに乗って歩いた。人々は、ロープウェイかあるいはケーブルカー乗り場のようなところへ向かって運ばれるように移動していた。