被害者と加害者という陰陽

ロシアによるウクライナ侵攻と現状、ロシア軍撤退後の惨状、それらに対する様々な人々・国々の反応、そして身近なチェコの人たちの冷静とも感じられる眼差し…等々を見つめながら ―

被害者意識が暴力・加害に繋がることを改めて思う。“被害者”としての強い不満や鬱屈が加害を正当化させる。被害と加害は一つの中の陰陽だ。

個々の内にある被害者と加害者という陰陽は、集合的無意識の中の終わりなき加害と被害の連鎖に繋がっている。逆もまた然り。

救いがないね。終わりがない。誰が加害者をどう裁こうと、加害者がどのように罰されようと、それは一時的な対処に過ぎず、被害者と加害者という陰陽から抜け出さない限り、どこかでまた同じことが起こり、延々と繰り返される。“全体”が陰陽を脱するまで延々とだ。

個にできることといえば、自らの内なる被害者と加害者を認め、その陰陽から脱すること、即ち自己の分離を統合することだけだ。それも、上位へ上位へと意識的にひたすら脱し続け、統合し続けていく必要がある。

フラクタル。