共存とは
イギリスに亡命していたロシア連邦保安庁(FSB)の元職員アレクサンドル・リトヴィネンコ氏が2006年11月に放射性物質によって暗殺された事件を題材にした映画を、ジョニー・デップがプロデュースし、本人主演で制作される計画があったことを初めて知った。2007年には多くのメディアが報じていたようだが、その後の情報が見当たらないので、最終的に制作には至らなかったのだろう。
ロシアによるウクライナ侵攻について調べているうちに、2020年に起きたロシアの反体制派リーダー、アレクセイ・ナワリヌイ氏の暗殺未遂事件のことが思い出され、さらに、2006年のリトヴィネンコ氏の事件を思い出したのだった。
チェコで暮らすようになってから、当然ながらこの国が経てきた経緯を知る機会は増えた。正直なところ、日本にいた頃にはまったく知らなかったことの方が多かった。それに加え、実際にソ連による軍事侵攻とその後を経験した人々から話を聞いたり、ロシアから(そしてベラルーシやウクライナから)移住してきた人々の話を聞いたりするうちに、わたしのロシアそしてソビエト連邦に対する視点はかなり変化した。
ナワリヌイ氏の暗殺未遂事件については「そんな映画や小説の中のようなことが現在もまだ行われているのか」とショックを受けたと同時に、十分に有り得ることだと納得もした。ロシアから来た知人たちやロシアにいる知人の反応を目の当たりにしたこともあり、あの事件はわたしにとって、ロシアの現政権と国の現状について改めて調べ、知るきっかけにもなった。
今回のロシアによるウクライナ侵攻についても、もしわたしがチェコに移住をしておらず日本にいたなら、今とはまったく異なる視点で見ていただろうと思う。ロシア側のプロパガンダをまるごと信じこんでいた可能性も大いにある。
とはいえ、わたしは今回の戦争をたとえば「ロシアが悪で、ウクライナは正義」などと単純化するつもりはない。そもそも戦争とは常に互いの正義の衝突でしかないと思っている。しかし、「今回の戦争にはウクライナにも非がある」という意見には疑問を感じる。ましてや、ウクライナに対して降伏をしろなどとは言えない。なぜなら、相手はあのロシアだからだ。
今回の侵攻はとても「ロシアらしい」やり方だと思う。ロシアは、チェチェンに対しても、ジョージアに対しても、クリミアでも、同じやり方で侵攻を行った。そして、これらの国や地域さらにはシリアがその後どのような状態を経てきているかを鑑みれば、ウクライナが抵抗し続ける理由もわかる気がする。それはまた、ソ連による軍事侵攻を受けた後のチェコスロバキアが経験したことにも重なるだろう。
しかし、ウクライナが抵抗すればするほど破壊と殺戮は続き、被害も死傷者も増えていく。これはとにかく辛い。とはいえ、ロシアが話し合いで和解できる相手ではないことも想像がつく。知れば知るほど、この紛争を止めるのがいかに難しいかが見えてくる。
共存という言葉を自分に問い直さざるを得ない日々が続く。同じ地上に共に存在するということは、時に、まるで相容れない世界観を持つ相手と隣り合わせることであり、話し合いなど成立し得ない相手と隣り合わせることであり、自分を支配し破壊するかもしれない相手と隣り合わせることでもある。まったく異なるナラティヴを信じ、まるで違った合理性を生きる者同士が、どのようにバランスを取り、どこで手を組み、どれほどの距離を保ち、いかに共存していくか。ウイルスとの共存しかり、国と国との共存しかり、この問いはあらゆる単位とレベルに渡る。