肉体が自ずと朽ちる時まで

絵描きの友人から、わたしが描いたパステル画を買いたいと言われて驚いた。絵を描くこと、練習することしか考えておらず、自分が描いた絵を売るという発想はまるでなかったからだ。彼女から「売れる(お金を払う価値がある)絵だと思いましたよ」と言われてさらに驚いた。

過去にわたしは彼女の作品をいくつももらったことがある。今回はわたしが、彼女が気に入った絵を贈ることにした。

先日も、別の友人が気に入ってくれたパステル画を贈り物として発送したところだ。自分が描いた絵が、それを気に入ってくれた人の手元に渡っていくのは嬉しい。

人と会うことはほとんどないし、V以外の人と話をする機会もそうそうなく、日々一人で黙々と、眺め、聞き、読み、撮ったり、書いたり、描いたりしている。そんな中で、ほんのたまにこうして思いもよらぬところから思わぬ声が届くと、見えないところで響いたり伝わったりしていることを知る。

ふと気づくとひたすら何もない無の中にいて、自分などというのもひたすらに無で、まったくもってどうしようもなくなるけれど、解決などないこともわかっているので、じっとそれを味わい、そこを経過し、そうしてまたひとつひとつ、眺め、聞き、読み、撮ったり、書いたり、描いたりを繰り返していく。

死ぬことも解決にはならないと身をもって知っているので、肉体が自ずと朽ちる時まで、探り続け、求め続け、作り続けるしかないのである。