松村潔氏は『水晶透視ができる本』の中で「水晶で『第二の体』を図太くすることができます。図太くなった人はたいてい健康になり、また気が強くなります。」と書いている。また「朝倉三心の師匠である女性は水晶透視を始めてからより健康になった」というエピソードもどこかの章で目にした。
「水晶透視をすると第二の体(エーテル体)だけでなく、肉体的も健康になり、タフになる」という話は、他でも目にしたことがある。そして、わたし自身もそれを実感している。スクライイングをはじめるたびに、過去に瞑想の中で体感したクンダリーニ上昇と同じ感覚を味わい、スクライングを終えた後には肉体的にも精神的にもエネルギーがチャージされたように感じる。
実際に、水晶でスクライングをしている間に何が起きているかといえば、わたし自身は深い瞑想状態にあるように感じている。それは、日常の中で半ば自動的に稼働し続ける感覚と機械的な反応を停止させ、かといって眠りに落ちて意識を喪失するわけでもなく、その間にある半覚醒状態になるべく長く滞在するための訓練でもある。そうして、見えるものだけでなく、聞こえるもの、匂ってくるもの、感じられるもの、あらゆる”やってくるもの”をただただ観察しつづけるのだ。
水晶を見つめるのは錬金術師や占い師だけではない。古い絵画の中には、水晶玉を見つめる僧侶が描かれてもいる。また、たとえば何年間も洞窟に籠って修行したといわれる人などは、岩壁の上に同じような映像を見ていたのではないかと想像する。アボリジニや古代の人々は、夢あるいは夢見状態の中で個を超える情報を共有していたと言われるが、スクライングを追求すればそれに近いことが可能になるのではないかと思う。
以下は、松村潔著『水晶透視ができる本』の序章からの抜粋。
ルドルフ・シュタイナーは、事物から表象を引き離すと世界は色彩豊かな生命の渦に満たされている光景が見えるといいましたが、エーテル体という光よりも高速な物質の領域を見るということを始めていくと、水晶の中だけでなく、さまざまな空間に映像や映像の片鱗、光の断片、図形などが現れて、空間がまるで海の中のように見えてきます。
眠りは個が消えていく領域で、起きている間は個が存在します。だから、その境界線領域は個が集団的な無意識をかいま見る瞬間でもあるのです。地下にトンネルがあって、そこを通じてどこへでも行けると考えてみてください。水晶ではそういうものを見ることができるのです。