いつも善人であろうなどとは思わないことだ。そもそもそんなことは不可能なのだから。
善だけを自らに望むのは、それ以外を悪にするということであり、善を求めれば求めるほど、悪をますます作り出す。しかし、その悪は認められないが故に影となり、他者に投影され、外側から現れる。
善のみを求めると、人は自分あるいは他者を殺すことにすらなる。なぜなら、善だけを求めるのは、世界を善悪という二極に分断し、一方のみを受け入れ、他方を否定することだからだ。しかし、善も悪も相対的なものであり、光と影はグラデーションで繋がっている。
自分を分断するのではなく、自らの内にある善も悪も認めて初めてわたしたちは真人間となる。自らの内にある善も悪も等しく認めること、すなわち自らの影を統合することは、下降と上昇どちらもの動きをより自由にする。