3年近くピンホール写真を撮ってきて、投稿したり、時に思わぬメッセージをもらって驚いたり涙したりもしてきて、なんとなくこのところ一つの壁にたどり着いた気がしている。「どう撮るか」など技術的なことではなく、「何を撮るか」、もっと言えば「何を撮らされるのか」ということについての壁。
この「何を撮るか」もっと言えば「何を撮らされるのか」の「何」とは、被写体のことではない。それは形として見ることはできない何かだ。そして、それが一体何なのか、頭で答えを見つけるつもりはない。むしろ、そうしてはならない。
それは、「何に撮らされるのか」ということなのかもしれない。
壁にたどり着いたと書いたが、この壁は超えていくものではなく、今は壁のように見えているけれど、実はゲートなのだと思っている。だから、やっぱり頭で考えて答えを出そうとはせずに、「何を撮るのか」あるいは「何を(に)撮らされるのか」ということを少し意識しながら、とにかく撮り続けていく。