言葉は追いかけると逃げる。とらえようとすればするほど取り逃がす。だから、風の通り道を作るように自分の状態を整えて、あちらの方からやってくるのを待つ必要がある。
写真も同じだ。追えば追うほど逃し続ける。だから、あちらからやってくるのを待つしかない。それも、ただ待つのではなく、やってきたものに自ずと呼応するよう、通りのよい自分でいる必要がある。
こう書いてみて、言葉も、写真も、手段なのだと実感する。言葉や写真が目的ではなく、言葉を通して描き出される何か、写真を通して現れる何かこそが目的なのだ。そして、それは、捕まえようとすればするほど逃げていく。だから、手段が何であれ、自分自身の通りをよくして、静かに待つことだ。
見つめることと待つこと、それが美しいものにふさわしい態度である。自分で考えつくことができ、欲求することができ、願望することができるかぎり、美しいものは出現しない。だからこそ、すべて美の中には、除き去ることができない矛盾、苦、欠如が見出される。― シモーヌ・ヴェイユ