肯定のための否定は要らない

肯定のための否定は要らない

偶々目にしたRTのツイート主のプロフィールに「〇〇は絶対に利用しない○○従事者」と書いてあり、自らがそこまで強く否定する業界で仕事をするのは苦痛ではないのだろうか、彼あるいは彼女はその自己矛盾に気づかないのだろうかなどと思ったが、それを目にしたということは自分の中にも同じような自己欺瞞がある(あった)のだろうかと、視点はすぐ自分自身へと切り替わった。

そうして、わたし自身は先々までを含む自分の行動や選択について「絶対」という言葉はそう容易く使えないなと思った。

また、何かを肯定するために、それ以外を強く否定すると、否定するもの=影にしたものへの執着(否定的感情)がむしろ強まるだけで楽ではなさそうだし、そういったしんどい”闘い=自作自演の否定と分離の物語”はもう本当に要らないなと改めて感じた。

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