楽観でもなく、悲観でもなく

「楽観でもなく、悲観でもなく、そこに在るもの、そこに起きていることを、ただ見て認める」

そこにある存在や事実と、それに対してどのように感じ思うかは、まったく別のことだ。都合によってそれらを混同するから、”問題”を作りつづけてしまう。

存在は存在のままに、事実は事実のままに、そこに在るものをただ認めること。そして、それらに対して生じる自らの感情や思いを、認め、引き受け、味わうこと。何かに対して生じる自らの感情や思いもまた、そこに在る事実であることに違いはない。

自分の外側に在るものも、自分の内側に在るものも、まずはそこにただ在ると認めること。そこに確かに在るものを、都合で無視したり、蓋をしたりしないこと。それは、自己同一化に気づき、そこから脱すること(=自己想起)でもある。

都合に同一化せず、感情や思いに同一化せず、ただ在るものを在ると見る。これには自覚的な訓練が必要で、そして、これは(この地上で肉体を持って)生きている限り続いていく。