「あなたは、いよいよ自分の中で母親を殺さなければ、あなた自身の人生が始まらないまま終わるよ」とある人から言われて、ガツンと殴られたような衝撃を受け、長い悪夢から目覚めたかのように決心し、すべてを断ち切って日本を飛び出した時のことを思い出した。
今日は実に久しぶりに近くに住む友人に会った。そして、彼女との対話の中で、思いがけず自分と母親との関係について話す機会があり、そこで、このことを思い出したのだった。
あの時、わたしが自分の中で母親を殺して切り離すことができていなければ、今のわたしはいなかったかもしれないし、母の死をあんなにも穏やかに看取ることはできなかったかもしれない。
こうして年月を経て振り返ると、当時はまるで予想もつかなかった展開も、すべて筋書き通りだったように見えてくる。過去はいつでも今ここで作られているのだから、当然なのだろう。
「自分の中で母を殺す」とは、「わたし(娘)と母という関係」から脱することだった。自分の中で母を殺して切り離した後には、娘という立場から抜け出した「わたし」があり、母親ではなく一人の他者としての彼女自身が見えた。わたしはあの時、関係を脱して、立場を超える自我を得たのだと思っている。
そして、それはまた「わたし(娘)と母という物語」を終わらせることでもあった。わたしは、自分の無意識の中にあった母親像を実際の母に投影しては幻想の「物語」を生きる(演じる)ことを辞めたのだ。立場を脱するとは、無意識に繰り返してきた「物語」の役柄から降りることだった。