第二大臼歯抜歯と母との関係の中で体験したあらゆる過去の成仏
4月に突如クラウンが外れて以来、複数の歯科医に相談してきた左上の第二大臼歯は、再度根管治療を施しても良い予後が見込めないため抜歯するしかないという診断を受けた。現在の主治医のことは信頼しているし、これまでにも数回相談してきた上での結果なので、今日はすんなりと決心がついた。
昨年夏、母の死を看取ったすぐ後に左上の第三大臼歯を抜歯したのは、個人的にタイムリーな出来事だった。そして、今日はその隣に生えていた第二大臼歯を抜いた。左側の歯は母親との関係を表すというし、魚座で満月を迎える直前の今日、抜歯を促されてすぐ決意できたのも、その「時」だったということだろう。
わたしが歯科治療(抜歯)を受けていた頃、満月前の魚座の月は、わたしと母のジオセントリック太陽にほぼ重なっていたようだ。わたしと母は同じ日の生まれなので、太陽の位置もほどんど同じ。なんだか象徴的なタイミングだったと改めて実感する。
抜歯に取り掛かる直前、自分の歯を失うことへの一抹の寂しさを感じて涙がこぼれそうになった。今日抜歯したのは長年トラブルを繰り返してきた歯だった。躁鬱と強迫性障害、過剰飲酒、無月経、子宮頸がんの前がん病変等々、さまざまな心身症状を抱えていた20~30代にいつも無意識に食いしばっていたため、根にはひびが入っていた。その後も数年おきに痛みが生じては、繰り返し根管治療を受けてきた歯だった。
抜かれた歯とともに、母との関係の中で経てきたあらゆる体験が葬られ、成仏したような気がする。互いを苦しめてきた虐待と暴力の連鎖とそこからの脱却、回復、そして、それぞれの自立のプロセスが完結した感じだ。