2015年9月14日の記録

2015年9月14日、わたしはこんなことを書いていたらしい。
記録としてここに残すことにする。

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6月頃から仕事を休んで引きこもる日が増えた。社会に、つまり外側に適応しようとして重ねてきた無自覚な無理が続けられなくなり、以前と同じようには行動できなくなった。

麻痺させていた感覚が蘇り、苦痛を苦痛と感じられるようになったら、いかに自分を蔑ろにしてきたかを思い知らされた。日常の些細な妥協と抑圧の積み重ねが、いかに自分を殺し続けるかを痛感した。

振り返ってみると、わたしは社会的な居場所を求めるあまり、気づかぬうちに「何かを目指す」生き方をしていた。そうして、たくさんの「~でなければならない」という思いこみに囚われ、焦り続けていた。それは結局のところ、現在の自分自身への否定でしかなかった。そして、何にもなれないまま、何かに追われるばかりだった。

自分がそんな苦しいパターンに陥っていることに気づかぬほど、「自分のものではない価値観」に乗っ取られていたとも言える。「外側(社会)に適応しなければ生き延びていけない」という根拠のない不安がそうさせていたのだ。

自分自身に還るということは、頭で理解できるものではないと実感する。本当に大切なものは、いつだって自分の内側にあるのだ。それは、外側から教えられたり与えられたりするものではないし、ましてや立場や金で得られるものでもない。

自分にとって「本当に大切なもの」を抑圧し、蔑ろにし続ける生き方が限界に達して、すべてが止まった。そうしたらゼロに還るしかなかった。そして、長年の疲弊と悲しみが一気に溢れ出した。

わたしの「大切」を守れるのはいつだってわたしだけだ。自分の中の「美しい」「心地よい」「楽しい」という感覚を守ることこそが自分を守ることであると、昨日の出逢いは教えてくれた。自分に忠実に生きることこそが幸せの根源だ。

十代の頃によく聴いていた音楽をきっかけに、あの頃描いていた夢のイメージや感覚がよみがえり、今日は久々に泣いた。わたしはいつも一人で美しい夢を見ていた。大切なものは、何も変わっていない。