人と会うのは好きではないが、人のことは好きという性質

「私は人と会うのが好きではありませんが、人のことが好きです」と坂口恭平氏は自著の中に書いている。

わたしも彼に似ていると思う。人は好きだが、人と会うと疲れる。だから、好きな人たちとの間にもほどよい距離を保つことによって、快適なバランスを育んでいる。適度に自閉すること、自他の境界を意識的にはっきりさせることが、人との関係においてとても重要だ。

坂口氏はそうした自身の性質を「躁鬱人」と呼んでいる。わたしも長年躁鬱を繰り返してきたので、彼と似た性質を持っている自覚がある。そしてまた彼は「人と会うと情報受け取りすぎてすぐ疲れる」とも言っている。

最近、わたしは「自分はいわゆるHighly Sensitive Person(HSP)なのではないか」と気づいた。というのも、幼少期の自分が、衣類の感触や食べ物の食感、周囲の音、におい、光の強弱、色の濃淡や組み合わせ、人々の態度や様子など、さまざまなことに敏感過ぎて、いつも一人で不快感に対処し続けていたのを不意に思い出したからだ(そして、今でも同じような傾向はある)。

たとえば、学校の制服の一部が肌に当たるのが不快で、なんとかして不快感を減らそうと、いつも折り曲げたり伸ばしたり手を突っ込んだりしていた。周囲の人々の感情や思いが、まるで自分の頭や身体にダイレクトに流れ込んでくるように感じることが多くて、いつも混乱していた。あれらはすべて、感覚過敏によるものだったのではないか。

だとすれば、「人に会うと言語以外にもさまざまな情報を意図せず受け取りすぎてしまって疲れる、うっかり気を抜いていると人当たりをする」のも、当然のことかもしれない。

躁鬱人であれ、HPSであれ、とにかく、自分を認識することが始まりだと改めて思う。自分にとって何が快で何が不快なのか、そうした自らの感覚と性質を認めることなく周囲や社会にあわせていると、心身には常に無理が生じて、やがては病気になったり壊れてしまったりする。そんな本末転倒に陥らないために、どんな自分も受け入れてゆるすこと、そして自分に正直であることがまず第一だ。