La Pausa - 2015年8月22日の記録

La Pausa - 2015年8月22日の記録

以下の文章は、2015年8月22日にわたしが書いた当時の記録だ。

先週はじめに右上の第二臼歯がひどく痛みだし、急遽見つけた近所の歯科に飛び込んで数年ぶりの歯科治療を開始した。この歯は過去に根管治療を受けていたが、再び根の治療をすることになった。

そして、ひとまず痛みも治まり一息と思いきや、翌日には反対側、左上の第二臼歯が猛烈に痛みはじめた。ボルタレンを服用しても眠れないほどの痛みに、仕事を休んで久々に寝込んだ。初めて体験するレベルの痛みだったかもしれない。何も噛めないので食事ができず、あまりの痛みにしっかり眠ることもできなくて、ひどく消耗し、ひたすら休むしかなかった。そんな中でふと、痛みを訴える歯に意識を傾けてみることにした。

左右同じ位置の歯(いずれも過去に根管治療を受けている)が、同時に根の再治療を求めてきたことから、ごく個人的なメッセージを受け取った。痛みはわたしが無意識にため込んでいた怒りであり、解放を求めていたエネルギ―だったと思っている。それは、自分自身に対する怒り。そして、家系から引き継いできた抑圧と怒り。

痛みに耐えて疲労を抱える体に「どうしたい?」と尋ねると、「休みたい」という。そうだよなと納得する。長い間、本当の意味で休んだことはなかったかもしれない。わたしはこれまでずっと、何かを獲得するために動き続けなければ生き延びられないという不安を、身体に押し付けてきたように思う。

今年に入ってから、まるで大波に何度も洗われるかのようにあらゆるものが終わりゆき、物理的にも精神的にも断捨離を重ねてきた。その流れは加速するばかりで、あらゆる面がどんどんゼロに向かっていく。そんな中でわたしは、次への準備をしなければと無意識に焦っていた。

貯蓄はまったく無いし、秋以降の身の振り方は何一つ決まっていない。周囲から様々なアドバイスを受けるたびに無意識に焦りを募らせていたのも事実で、自分で自分を追い込んでいた。夏前から既に体は「休ませて」と訴えていたが、猛烈な歯の痛みによっていよいよその声に従うしかなくなった。

「役に立たなければ価値がない」とばかりに懸命に頑張り、誰かや何かのために何かをしなければならないと思いこみ、収入や承認を得るために立場や役割を担う。わたしはいつからかそういうサイクルに陥っていた。そんな自分の状態に気づいたのは、昨年のポルトガルへの旅以降だった。そうして、そこからどんどん終わりが始まっていった。

体は「何もしたくない、休みたい。」と訴えている。ならば、休もう。収入のあても、次の一歩も、考えるのはやめて、とにかく静かにゼロへ向かおう。誰かや何かの役に立つために働くことを辞めるのだ。「これを続けなければアイデンティティが保てない」という無意識の思い込みごと、一度すべてリセットしよう。

ただし、職場には9月末まで在籍予定なので、そちらは日数は減らしながら退職日までは勤務する。後任者も決まったし、業務の引き継ぎもあるしね。

この決断は、貯蓄ゼロという状況から生じる不安もすべて受け止めて、やりたくないことは一切やらないと徹底し、ひたすら放棄してゼロに還ればいったいどうなるのかという実験でもある。

さて、La Pausa。

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