萩原朔太郎のステレオ写真と、わたしがピンホール写真を撮る理由
萩原朔太郎がステレオ写真の愛好家であったことを初めて知った。彼は、10代の頃から写真を撮りはじめ、自らで現像や焼き付けもしていたそうだ。そして、友人たちから「玩具のようなもの」と笑われたというフランス製のステレオカメラを、「唯一無二の伴侶」と呼んで終生愛用していたのだという。
彼の長女である萩原葉子の著書『父・萩原朔太郎』の中にある晩年の朔太郎についての記述によると、「まくら元にはたばこ、囲碁の切り抜き、立体写真、雑誌、睡眠薬、おにぎりなどが置いてあり」「いつものように」「腹ばいになって立体写真に見入っていた」らしい。
昭和14年にアサヒカメラに掲載されたエッセイ『僕の写真機』の中で、萩原朔太郎はこのように書いている。
「元来、僕が写真機を持つてゐるのは、記録写真のメモリィを作る為でもなく、また所謂芸術写真を写す為でもない。一言にして尽せば、僕はその器械の光学的な作用をかりて、自然の風物の中に反映されてる、自分の心の郷愁が写したいのだ。」
「かかる僕の郷愁を写すためには、ステレオの立体写真にまさるものがないのである。なぜならそのステレオ写真そのものが、本来パノラマの小模型で、あの特殊なパノラマ的情愁―パノラマというものは、不思議に郷愁的の侘びしい感じがするものである―を本質しているからである。」
「普通の写真は平面であり、二次元の世界しか再現しない。ゆえにそれが、写真的にリアリスティックであればあるほど、いよいよ僕の心の『夢』や『詩』から遠ざかってくる。僕の心のノスタルジアは、第三次元の空間からのみ、幻想的に構成されるからである。」
一年前、「自分が撮ったフィルム写真の中の世界に『帰りたい』と思うことがある。子どもの頃にずっと『帰りたかった』場所がそこにあるような気もする。」と書いた。自分で撮ったピンホール写真の中に、言葉で説明しがたい懐かしさを感じる。そして、そこへ帰りたいと思う。日々自分で撮った写真を見ながら、そういう感覚を繰り返し味わっている。
ピンホール写真は、わたしが自分の内側で感じている世界に近い。これが、わたしが流木ピンホールカメラで写真を撮る理由だ。自分の中にあるものを写すために撮っている。だから、萩原朔太郎が言ったことはよくわかる。