できていたことができなくなるのは縛りから自由になったということ
自分は特に食べたくはないけれど誰かのために料理をするとか、少しも楽しくはないけれどお金など何かを得るために技術や労力を提供するとか、過去には確かにやっていたことが、今はまったくできなくなったよと話したら、友人は「やれていたことができなくなるのは発展だ、縛りから自由になることだ」と言った。
以前のわたしは、立場を保つためだとか、身を建てるためだとか、何か他の社会的な目的のために、本当は楽しくもないことややりたくもないことを自分に強いていたのだ。
「この社会で自分が実現したいことを思い出す」と言う文章をたまたま目にして「”社会の中で実現したいこと”って、もう無いな」と思った。ずっと自分に無理を強いながら社会の中の相対的な自己を生きてきて、もうそれにすっかり飽きて嫌になってやめたのだから、当然のことだ。