情報との自己同一化と中毒性

それがどんな内容であれ、情報に触れ続けるのもまた自分への虐待なのだと思う。外側への反応として生じる機械的な感情ばかりを反復しているうちに、身体も精神も疲れ果てて麻痺してしまうんじゃなかろうか。と、情報との自己同一化と中毒性について思っていた。得た情報も、情報発信という行為も、”自分”ではない。