加害者も被害者も救済者も自分
このツイートに書かれていることはよくわかる。わたしの場合、子どもはいないこともあり、それが他者へ向けられることはなかったが、この「非常に深いところに埋め込まれたスイッチ」が、自分自身に対する暴力として働いていた。思い(都合)通りにならない自分を殴って言い聞かせたい自分と、それを押しとどめる自分とに長らく分裂していた(実際にわたしは身体的にも精神的にも様々な形で自分に暴力をふるっていた)。
自分の中に根深い暴力・加害の連鎖があること、そして、それによって自分の中が分裂していることを正直に認められたのは割と最近のことだ。ありのまま認めたら、苦しみは消えた。そして、分裂がなくなった。
わたしの父は、寝たきりになった祖母が思い通りにならないと殴ってしまうことがあったと聞いた。彼もまた祖父から暴力を受けて育った人だった。そういえば、随分前に、母の内縁の夫が「聞き分けのない奴は殴って教えるしかない」と言ったのを覚えている。このように、加害・暴力の連鎖は根深いが、多くの人がそのことに無自覚だ。
それはつまり、自分の中に加害者と被害者の両方がいることに無自覚なまま生きているということだ。そうして彼らは、影になっている加害者の自分や被害者の自分を他者に投影して外側ばかり見ている。このことに気づくには、自らの視点を一段上げる必要がある。加害者も被害者も、そして救助者も、実はすべて自分だ。