昨日は中高校時代の同級生と四半世紀ぶりに再会した。彼女から「Rちゃんは、お母さんから虐待を受けていたよね。Rちゃん本人はそう認識していなかったと思うけれど、あれは虐待だったよ。」と言われ、当時のわたしの実状に気づいていた人がいたのかと驚いた。そして彼女は「あんなにも悩んで苦しんでいたRちゃんが、今はこうして幸せに生きていてくれて本当に嬉しい。」と涙をこぼした。
母から受けた暴力も、中高校で受けた嫌がらせも、わたしにとってはまるで過去世のようで、普段はすっかり忘れている。昨日、彼女との対話の中で「そういえばそんなこともあった」とたくさんのことを思い出した。そして、新鮮な気分で久しぶりに他者の前で自分のこれまでの経緯を語った。
そして今日は、ある人と四年ぶりに再会した。まさか彼と日本で再会することになるとは思ってもみなかった。彼は、初対面の時から古い友人同士のような感覚を覚える人だった。今日もまた、まるでずっと昔から知る者同士のような気分で、互いの近況や、この四年の間に起きたことなどを話した。四年前にもわたしたちは、互いの越し方や家族・家系のこと、どんな風に生きてきて、どんなことを考えてきたかなど、長い時間話しこんだ。彼もまた、自分にとって快適ではない社会から脱出しつづけてきた人だ。常に旅人のようなところがあるという点で、わたしたちは似ているのかもしれない。
彼との対話の中でわたしは、母の死を経たことによる自分自身の変化をしみじみ確認した。そして「これまで」が完結し、「これから」が始まっているのを実感した。わたしは、自分が何をやっていくのかを彼に向かって明言していた。
いずれもおもしろい時間だった。