11年前のこと

Facebookが11年前の今日の投稿を見せてくれた。 耐えがたいほどの歯痛をきっかけに、「僅かでも本心に背くことをしなければ生きられないなら、この人生自体がエラーなのだから、野垂れ死にすればいい」と腹を括り、文字通りすべてを手放してゼロに還ると決めた日の記録。 当時は想像すらしていなかったが、この数ヶ月後、私は思いもよらぬ流れに乗って一人チェコへ向かうことになり、やがて移住した。ちなみにこの時に痛んでいた歯は、2021年に通い始めたチェコの歯科医院で、右は抜歯、左は精密根幹治療を受け、今ではまったくトラブルなく過ごしている。 あの「ひたすら放棄してゼロに還ればいったいどうなるかという実験」の末に、今の自分がある。 2015年8月15日 先週はじめに右上の第二大臼歯がひどく痛みだし、急遽見つけた近所の歯科医院に飛び込んで数年ぶりに治療を開始した。この歯は過去にも根管治療を受けていたが、再び根の治療をすることになった。 ひとまず痛みも治まり一息と思いきや、翌日には反対側、左上の第二大臼歯が猛烈に痛みはじめた。ボルタレンを服用しても眠れないほどの痛みに、仕事を休んで久々に寝込ん…

マーラーを聴く

友人が所属するオーケストラの演奏会のために絵を描くにあたり、グスタフ・マーラーの交響曲第5番を聴いている。具体的な理由もあって、マーラーには長年食指が動かずにいたが、とうとう聴く理由がやってきた。 彼は、私が暮らす街からそう遠くはない、現在のチェコ共和国イフラヴァ(Jihlava)で生まれ育った。そこで、ここはやはり、同じくボヘミア人でありながら「故郷のない生」を生きた、ラファエル・クベリークの指揮で聴くことにした。 この交響曲は「絶望と死から、愛と祈りを経て、歓喜へと至る」と解説されることが多いようだが、第1楽章から第5楽章まで全編を通して繰り返し響いてくるのは、底なしの深い孤独と悲しみだった。「アルマへの求婚」としてロマンティックに語られる第4楽章も、決して実現することのない幻想(理想郷)への渇望が感じられ、儚く、美しく、そして悲しい。 先月ストックホルムで足跡を追ったエウヒェン王子やエウヒェン・ヤンソンの作品からも、深く静かな孤独を感じた。そしてむしろ私はそこに、どこにもない懐かしい故郷を垣間見るような安堵を覚えた。「孤独」と「悲しみ」を鍵に、これまで聞いてこなかったマーラ…

龍に雨を乞う

ここ数日はまたあまりに暑い日が続いていて、何をするにも負担が大きく、何もできないまま疲労だけが蓄積している。昨日はチェコ国内の12か所の気象観測所で気温が40°Cを超え、171か所で日別最高気温の記録が更新されたそうだ。 今日夕方には雨が降って気温が下がる予報だったが、いつも通り高台にあるこの地域は雨雲が逸れていった。ふと思い出して、以前日本で教わった雨乞いの祝詞の教本を引っ張り出し、おそらく十年以上ぶりに唱えてみたところ、その一時間ほど後に雷雨がやってきた。偶然と言えば偶然。何はともあれ、祝詞をあげるのは気持ちいい。 我が家に神棚は置いていないが、30代の頃に夢に導かれて訪れ、人生の大きな転機となった貴船神社で授かった、木彫りの龍を置いている。待ち望んでいた雨が降って、気温も無事に下がってきたので、改めてその神龍に「ありがとうございます」と伝えた。…

ストックホルムで味わった安堵と共振

今回のストックホルムへの旅は、夢のようだったと同時に、自分がどのような意識と“位置”で生きていくかを確認するような、示唆に富んだ時間だった。 元々、特に惹かれる19世紀末から20世紀初頭のスウェーデンの画家たちの足跡を追って出かけた旅だった。 到着早々、そのうちの一人であるネルケ公爵エウヒェン王子(Prins Eugen)が若き日にアトリエを構えていた建物の前を偶然通りがかった。数日後には彼の邸宅跡であるヴァルデマーシュウッデ(Waldemarsudde)を訪れ、彼が長年暮らし、作品を生み出し続けたその場所で、光と色を堪能し、その精神に触れた。もう一つの目的だったティールスカ・ギャレリエ(Thielska Galleriet)もまた、私にとっては宝箱のような空間で、大好きな画家たちの作品に囲まれる至福のときを過ごした。 私は、現在この地上で肉体をもって生きている存在よりも、既に他界してしまった魂たちに深い共振を覚え、励まされることが多い。今回の旅を通じ、エウヒェン王子は確実に私の導き手であり、エウヒェン・ヤンソンもまた目の前に輝く星だと確信した。そして、彼らが生きたストックホルムと…